10月の頭頃からサカナクション山口一郎のYouTube生配信にはまり、毎晩ヒーリングを求め視聴する日々を過ごしている。
私はサカナクションの曲の中でも『モス』が好きだ。サカナクションらしいエレクトロとロックが融合したサウンドに内省的な歌詞が重なっていて気に入っている。
ただ、この曲に私はどうしても腑に落ちない部分があった。それはサビの【繭割って 蛾になる マイノリティ】という一節である。蛾は繭から生まれるのが当然であり、そこには特別さはない。つまりこの【繭割って 蛾になる】という言葉はマジョリティを表している。にもかかわらず、この一節の最後には【マイノリティ】を選んでいる。この矛盾をどうしても私は解釈することが出来なかった。
疑問をもちながらもスッキリできずに時が流れていたある日、生配信でこの一節についてたまたま解説をしてくれた。山口一郎は、その曲のテーマになることについて徹底的に調べ何十パターンも作るほどの歌詞へのこだわりを持っていることで有名なアーティストである。この『モス』についても、テーマをマイノリティに決めてから徹底的に調べたそうだ。その中で山口一郎は人間が蛾と蝶をどう認識しているかに注目した。我々人間は幼少期から絵本などの影響で蛾よりも蝶に多くふれてきた。その為、一見蝶の方が多く蛾の方が少ない気がしている。しかし、実際には蝶のほうが少なく、蛾のほうが圧倒的に多い。つまり蝶がマイノリティで蛾がマジョリティなのである。この現象は私たちの世界でも良くあることだなと想いこの歌詞にしたそうだ。
マイノリティとマジョリティという概念は育海に関わる人間にはこれまでもこれからも大きく関係すると感じる。だからこそ育海は現実と向き合い悩む場所になり、孤独を癒す場所にもなる。
基本的に育海にくる子は学校という箱でマイノリティを経験した子どもが多い。ただ本人にそんな意識はなく、ただ正体不明の居心地の悪さを感じて体調不良になるパターンがほとんどである。そんな経験をしてきた子どもたちが育海でもマイノリティとマジョリティの立場を自然と作る。人間とは面白いもので、さんざん家族ぐるみでマイノリティであることに悩み、親の安心からはみ出さないように口出しされることが嫌で嫌でしょうがなかった子が、無意識に育海でマイノリティになった子を孤立させるように行動する。恐らくこれは人間及び特に日本人が持っている出る杭は打つという文化であり、染みついているものだ。
人の理想とは時に追い求めれば求めるほどとがり続け誰かを傷つける凶器になる。私は家庭と関わらせていただくときに、これは全員しんどいだろうなと思う時がある。それは子どものマイノリティの面を受入れることが出来ず、それを誤魔化すように親が考える社会における崇高な理想像をとがらせ続け、子どもに向いたそれが深く深く心に突き刺さりだれも抜くことが出来ない状況に陥っている家庭である。逆に在学中にこの家庭はもう良い意味で育海が必要ないなと感じるときもある。それは子どもが自身のマイノリティに対して認識はありながらも劣等感を感じたり開き直ったりするわけでもなく自分は自分だからと自然体でいる状態であり(自己肯定感が低くない状態)、親は認識しながら必要であれば学校と連携してサポートする体制を整えつつも、子どもと自分の人生をきちんと切り分け対等に接している家庭である。これは育海スタッフの総意ではなくあくまでも個人の考えだ。もちろん学校に行く育海に行くどちらも人生の一部に過ぎないので、この考えを通して事柄の善し悪しを考えるのはご容赦頂きたい。
子どものみで言うと上記のマイノリティに対して自然体なタイプと周りからはみ出ない為に常に評価を気にしている子に分かれる。どっちが悪いという話ではない。これは個人個人の持って生まれた性格だと思う。だから周りの目を気にするなとは言わないし思わない。周りの目を気にするのもその子の今の自然な姿でありその子らしくないなんてことも思わない。と考えるのは私が時には変人扱いされながらもマイノリティを貫いてきた人間だからである。貫いたというよりそれしかできなかったという方が正しいのかも知れない。そんな好き勝手生きてきた人間がこれから沢山の経験をして自分を作っていく中学生に対して生き方に口を出すのはお門違いである。もちろん個別指導計画を担当しているのでアドバイスをすることはあるがそれとこれとは違う事だとニュアンスで感じてもらえたら幸いである。
そんな私だが最近マイノリティに関して新たな認識を貰える言葉に出逢うことが出来た。それは岡本太郎の『孤独を怖がるな。孤独の中でしか、本当の自分は生まれない。その闘いを貫いた先にこそ魂で繋がる本当の仲間が見つかる』というものだ。私は闘ったなんてたいそうな想いで生きてはいないが、確かに納得できる言葉だった。その納得感を探っていくと私の人生に思い当たる出来事があった。
私が高卒で入社した会社は何か人同士が嘲笑し牽制しあう雰囲気があった。そこに自分を合わせていつの間にか染まってしまう事に言い表せない違和感を覚えて退社した。その後思い付きで鹿児島に飛び、夜は居酒屋営業をする田舎のゲストハウスで住み込みのスタッフをしていた。そのときに価値観を広げてくれる強烈な旅人や移住者に沢山出逢い話をきいた。京都から鹿児島までママチャリできた同い年の女の子、自分達もゲストハウスをオープンする為に勉強の旅で全国を回っている夫婦、音楽家が地方で生きる道を模索する為に移住した人、草木染に惚れて自分のブランドを持つために東京でのアパレル店長を辞めて移住した人。そしてなんの目的も目標もないが、でも満足そうにいつもにこにこしている人。皆がただただ自分を生きていた。話を聞く以外にも本当に沢山の日常をもらった。休日には染物のお手伝いをして夜浜辺でビールをおごってもらって乾杯したり、花見をしてみんな大人だけどドッチボールをしたり、私にとってとても居心地がよい環境にたどり着くことが出来た。今でも連絡をとって電話をする仲の人もいる。この経験はまさしく自分を貫いたさきに出会える仲間がいるという岡本太郎の言葉を表していると思う。
長くなったが、結論この文章を通して言いたいことは、子どもあるいは自分が今マイノリティであることに悩んでいる人は、たまには貫いて生きることで出会える人がいるかもしれないなとふと想う事も個人的には大事だと感じる。すると次はこれに対して、現実という壁が立ちはだかってくると思ってしまう。けど実はそれは誰かが我欲を満たすために作った、勝手に自分の考えだと錯覚させるスカスカの壁かも知れない。バレンタインはチョコ会社が作ったキャンペーンが始まりなように。
私の今の目標はおさるのジョージの田舎みたいなところに住むことです。あんくらい気楽に生きたいもんですね。
野﨑 陽平
