定期的に来るメンタルの波に負け、ヘロヘロの状態で布団の上でスワイプを繰り返していると、ある言葉に出逢った。それはザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトの言葉だ。
「夢を聞かれたときに、バンドをやって有名になりたい みたいに二つ言うやつが多い。バンドやりたいならバンドやりたい。有名になりたいなら有名になりたい。どちらか一つにしろよ。有名になりたいならバンドじゃなくてもいいじゃないか。だから俺は中学の時にバンドを始めた時から夢は叶い続けている。」 というものである。この言葉を聞いて心が軽くなったことを覚えている。
私のメンタルが崩れるときは、大体自分のやっていることに意味を見出せなくなってしまった時である。今回のメンタル崩れの発端は2025年1月に福岡市で母親に人工呼吸器を外され窒息死をした事件の記事を見つけたことだった。母親は「娘を殺して私も死のうと思った」と供述したと書いてあり、娘さんは当時7歳だったそうだ。先天性の難病であり、常時ケアが必要で、昼夜を問わず、在宅で介護をし、平日に関してはほぼ一人でお世話をしていたとされている。親族や夫との関係、周囲からの言葉がきっかけで「孤立感」「疎外感」が増し、追い詰められていったそうだ。この件で、私はこの事件を通して、母親という言葉に社会や親族からのしかかられた責任は、娘を殺すことを選択してしまうほどに、時に逃れるのが困難なものになってしまうのかも知れないということを強く感じた。
福祉施設ではないし、医療に関わっている者ではないが、一応私も家族というものに関わらせていただくお仕事をしていて、カウンセリングの知識も多少はあるつもりでいる。でも、自分がこの事件の直前にこのご家族に関わったとしても何を出来たのか、全くビジョンが湧かない。もっと経験を積んだカウンセラーの方ならどうにかしてしまうかもしれないが、自分の無力さを痛感し、意味を見出せなくなってしまった。
ではなぜ、この事件から生じたもやもやが甲本ヒロトの言葉で心が軽くなったかというと、私は、その言葉に出逢うまで自分のやりたい事に対して複雑に考えすぎる癖があったと思う。今回も自分のできる範囲を見誤って勝手に落ち込んでいた。そもそもこの事件で関われた役職は一つではなくチームだ。カウンセラー、医師、ソーシャルワーカー等々、専門職の方々で私が関わる隙はないと思う。ただそれが今の自分の段階で現実としてあるだけの話である。と、考えると、そもそもカウンセラーになりたいというのが広すぎる事に気が付いた。なんのカウンセラーになりたいかを考えてみた。そうすると、私が関わりたい人たちは今回の事件のような人たちではなかったことにも気が付いた。飲食店を開きたいと言って、よく考えてみたら肉屋になりたいのに、魚の捌き方を知らずに絶望しているようなものだと思う。知っていてもいいけど、肉屋になりたいのだから、絶望するほどでもなくないという事で私は病んでいた。実におちゃめさんである。
この経験を通して私は、シンプルに考えずに色んな可能性を考えてしまう人は、自分の責任の範囲をいつの間にか自分の限界よりも増やしてしまい、追い詰められる恐れがあるのではないかと思うようになった。
これは親子関係でもよく生じる事のように感じる。これは育海ではない場所で関わっていたある親子の話である、子どもはADHDの特性があり、衝動性が強く扉の閉め忘れや、モノをなくすことを頻繁にしていた。私はいつもそのような子と関わる時、本人が失敗することで困っているならば、自分の特性を受入れたうえで、じゃあどうするかを一緒に考えるのを黄金パターンにしている。しかしその子は、失敗すると落ち込み強い自己嫌悪に陥ってしまい、じゃあどうするかを考えることにたどり着くのにとても時間がかかった。私としては落ち込むのも新しい自分を開拓していくのに大事だとは思うが、持って生まれたものは落ち込んでもしょうがないとも考えている。ある日、異常に落ち込みすぎるので本人に聞いてみた。すると親から「今自分と向き合うか、将来工場で働くか選べ」と過去に言われたことがあると教えてくれた。その感覚が植え付けられ、失敗すると工場勤務になると過度に落ち込んでいたのだ。当時それを聞いた時、衝撃だった。まぎれもない職業差別だ。別に工場で働いていようがどこで働こうがその人の人生を生きているだけだと思う。ただそんなことはその親も理解している気もする。恐らくそれをしてでも子どもの将来が心配で向き合ってほしかったのかなと私は思った。
子どもの将来を心配するのは紛れもない親の愛情でありなんら不自然ではない。ただ、働いているという事はもうその子は大人になっているという事である。その時点でどこで働いてようがその子に人生の責任があり、親がそこまで責任を感じて、職業差別をしてまで背負い込むのは、もしかしたら親の責任の範囲を広げ過ぎなのかもしれないなと感じてしまった。実際にその言葉で子どもは前に進むことが難しくなり、親は出した言葉をひっこめることが出来ずに、お互いが疲弊していた。もちろん背負い込もうとしてしまう気持ちを否定しているわけではないことを分かってほしい。
長くなってしまったが、とにかく、私が伝えたかったことは、今感じている悩みは実はもっとシンプルで、あなたの責任の範囲外の事で苦しんでいるかも知れない可能性を考えてみると意外と光が指すこともあるということ。私は良い意味でシンプルに物事を考えるようになり、自分を客観的に見てクリアしているところがあれば、ハーゲンダッツを食べられるような、気の抜けた人間になることが出来て良かったと思えている。
色々な概念やこうあるべきが増えて、生きるのが難しいなー感じます。それは親子の形でもそう。ネットをみると、あの時こうしてほしかったや毒親だという声を簡単に見ることが出来る。いい面もありながらめんどうくさい世の中ですね。ブルーハーツ聞きながらハーゲンダッツ食べて、皆さんがほっと一息付けますように。 野﨑陽平
